塗装の歴史(その1) 日本の名城は「外壁塗装」に守られていた?!
2018-05-01
ペイント王のこと
塗装の歴史(その1)
日本の名城は「外壁塗装」に守られていた?!
外壁塗装というと、近代的なイメージがありますよね。
日本でも外国でも、昔の時代にはあまり外壁塗装のイメージはありません。
でも、意外かもしれませんが、外壁塗装の歴史は古く、昔から建物を守ってきたのです。
そこで視点を変えて、外壁塗装を歴史の面から見ていきたいと思います。
今回は、塗装の歴史シリーズの第1回目として、日本のお城と外壁塗装の関係についてお話ししたいと思います。
日本のお城というと、大阪城や姫路城など、真っ白な外観が思い浮かびますよね?
特に、姫路城は、2015年に、5年半もおよぶ「平成の大改修」を終えたばかりで、透き通るような白さは格別ですよね。
そして姫路城は、日本でも有数の「難攻不落」の城として有名です。
「西国将軍」が築いた鉄壁の姫路城
姫路城は、今から400年以上前の江戸時代初期に、城主となった池田輝政が、元の城を大幅に拡張して現在の形ができあがりました。
江戸幕府を開いた徳川家康の娘婿となった輝政は、家康から絶大な信頼を得て、姫路を中心に100万石近い領地を与えられたことから、「西国将軍」とも呼ばれました。
輝政は、家康の命により西国への備えとして、元々あった姫路城を、「難攻不落」を誇る現在の姿に作り替えました。
何重にも張り巡らされた堀や、敵を攻めるための仕掛けなど、正に「鉄壁の守り」です。
当時、成立したばかりの江戸幕府には、西日本に薩摩藩や長州藩をはじめとする、多くの敵対勢力がいました。
これらの敵対勢力が、大阪や京都を目指して攻め込んできたときの備えとして、姫路城は何重にも張り巡らされた堀や仕掛けなど、「鉄壁の守り」にする必要があったのです。
姫路城は「自然の外敵」からも鉄壁の守り!
実は、姫路城の「鉄壁の守り」は、「敵兵の侵入」に対してだけではありません。
風雨などの「自然の外敵」からも、鉄壁の守りを誇っているんです。
遠くからも望める大天守は、現地へ行かれたことがなくても、一度はテレビや写真などでご覧になったことがあると思います。
姫路城の大天守は、たびたび修理や補強工事が行われていますが、400年前に作られた当時の原型を今に伝えています。
姫路城を400年以上守り続ける「古来の外壁塗装」
400年以上にわたって、姫路城の大天守を「自然の外敵」から守り続けているのは、日本古来の外壁塗装である「漆喰(しっくい)」です。
漆喰は、日本古来の塗料で、建物の外壁のほか、屋根瓦の接着剤としても、使われてきました。
漆喰は、耐久性と防火性に優れているのが特徴で、姫路城をはじめとする日本の名城を、風雨などの自然環境だけでなく、火災からもから守ってきたのです。
消防技術が未熟な江戸時代は、大きな火災が発生したら、消すすべがありませんでした。
江戸時代の消防士として有名な「火消し」も、水をかけて消火するのではなく、火元の周囲の建物を壊して「延焼を防ぐ」ことが主な活動だったようです。
そのような時代背景から、昔の外壁塗装には、防火性能も求められていたんですね。
400年の歴史の影には「塗り替え」があり!
400年にわたり大天守が守られた、影の立て役者は「定期的な塗り替え」です。
姫路城は、修理や補強工事の時に、劣化した塗料「漆喰」の塗り替えも行われています。
築城の時に、一度塗ったら終わりではなく、時間の経過とともに劣化する塗料を塗り替えることによって、400年以上も前の姿を現代にとどめているのです。
現代も、外壁塗装で「自然の外敵」から「鉄壁の守り」を!
時代が変わった現代でも、外壁塗装は「自然の外敵」から建物を守り長持ちさせるために重要です。
現代は昔に比べて、消防技術の発達により火災への心配は少なくなりました。
しかし、建物が風雨や太陽光などの「自然の外敵」にさらされていることは、今も昔も変わりません。
そして、劣化した塗料の塗り替えの重要性も、今も昔も同じです。
外壁塗装は、時代と共に進化を続けています。
私たちペイント王は、外壁塗装の仕事を通じて、皆さまのご自宅を「自然の外敵」からの「鉄壁の守り」で長く住み続けていただけることを願っています。
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